努力は嘘をつくのか

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高校の学年末試験なども終わり、中期試験の発表を目前にして、「努力」が結果にならない生徒との向き合いかたを特に考えさせられる時期になりました。

「努力は最終的には無駄にならない」と私個人は思っているのですが、実際にはそう思うことが難しい場面もあるものです。

「努力する」とは何をすることなのだろう

報われないことは確かにあるが、訓練なしで成果が出ることはない

努力は嘘をつかない、あるいは努力は裏切らない、という表現があります。

逆に、努力が報われない、そういう場面が確かにあることも私たちは知っています。

(受験はもちろん、五輪だってそうだ。軍事衝突を含む紛争など個人の努力だけでは、少なくともすぐには、どうにもならないことが世の中にはいろいろとある!それに向き合うことが生きることの一面と言える!)

結局のところ、「努力した者が全て報われるとは限らないけれど、成功した者は皆すべからく努力している」、そういうことなのでしょう。

努力することを伝えるのは難しい

私たち講師は、そして大人は、コツコツした努力の重要性、効果性、あるいは投資性を生徒に教えなくてはいけません。

そしてそれ実際に教える教科内容や技術と同じくらいに大切なことであるし、伝えるのが難しいことでもあります。

そもそも「努力と約束」できているのか

努力は嘘をつく、努力をしてもしかたない、諦めかけてしまう生徒もいます。

あえて厳しいことを書けば、そういう生徒に限って努力などしていないことがほとんどです。

私は、努力というのは単に疲れる訓練を指す言葉ではないと思います。

目標達成に必要な時間や労力を費やして一心に取り組むことです。

それが「努力と約束する」ことだと思うのです。

「努力」は回数や時間で測ろう

お子様は適切な目標に対して必要な時間を考え、その時間を実際に訓練に充てているでしょうか。

例えば、自分が用語を覚えるのに必要な回数の練習を、実際に繰り返し取り組めているでしょうか。

何回練習しても覚えられない! と言う前に「3回練習して、テストして、やり直す」ことを少なくとも10日続けてみたでしょうか。

こうした取り組みをして初めて努力したと言えるのではないでしょうか。

正しく努力をして結果を出そう

疲れるだけでは本当の意味では努力とは言えない。

生徒の立場に立てば、実際に問題を解いたり、単語の練習をしたりで疲れてしまい、努力したつもりになるのもしかたはないことです。

しかし、疲れることをしたら、それはそのまま疲れたとだけ言うべきで、せいぜい、頑張った、というくらいにとどめるのが本当ではないのかと私は思います。

正しい努力を積まずに、「自分は努力しているのに」と考えるのはある意味わがままです。

「努力」にしてみれば約束もしていないことについて嘘つきと言われては迷惑な話です。

まず、やるべきことやる

愚痴にもなってしまいますが「個人的な本音」は、まずやることやってくれ、です。

問題が解けなかったりテストで望む結果がでなかったときに、悔しがるのはわかります。

残念に思ったり、自分には能力がないとか思ってしまったり、くじけたりするのも分からなくはないのです。

しかし正直に言えば、そもそもやるべきことをしないで勝手にくじけているのってどうなのよ、と思ってしまう場面は少なくありません。

個人個人で能力の偏りはあるでしょうが、だれだって適切な努力を適切に積めば、結果も積みあがるものだと私は信じているのです。

自分に厳しく、でも責める必要はない

生徒本人たちには直接は(必要がなければ)言わないことも書きました。厳しすぎる表現にもなりました。

講師が厳しすぎ得れば、きっと自分に厳しい生徒たちは自分を追い込みます。

自分に厳しくない生徒、まだまだ未熟な生徒は言っても響かず、かえって気持ちを折ってしまうと思っています。

きみたちは努力が足りない、と責めるつもりはないのです。
努力のしかたをはき違えてはいけないと思うだけです。

お子様が自分の行動を律するという範囲での厳しさは必要だと考えますが、あくまでそれは楽をしてばかりでは成長につながらないと考えるからです。

背伸びした訓練が成長につながる

目標を達成するのにはやはりどこかで、自分自身や周りがそうした厳しさを持って、背伸びした訓練を積まないことには成長につながっていかないのではと思います。

いろんな言い訳をして課題から逃げていないか、もう一段上の訓練が自分にはできるのではないか。

そういう認知を与えること、あるいはそのきっかけづくりも講師の仕事だと思っています。これについては別の機会に記事にできればいいなと思います。

正しい努力を正しく積んで学ぶ力を育てよう

努力はこれこれのことをしたら「必ず」これこれができるという絶対的なものではありません

そういう意味で努力は嘘をつくことはないし裏切ることもないと言えます。

私たちが勝手に期待をして、嘘をつかれたとか裏切られたとか感じてしまうだけです。

確かなのは、正しい「努力」を積むこと無しによい結果を得ることはできないということです。

また、幸いなことに、小中高生の学習については「正しい」努力の方法論がかなりはっきりしています。

(様々な世界で一流・最先端と呼ばれる人たちの苦労するところとは違います。)

まだできないのは、これから成長するから

自分の学習方法、訓練方法を素直になってよく見直してみましょう。

正しく努力できているなら結果はもうついてきているでしょう。
今の訓練を続けてください。頑張って。

そうでないなら、方法を改善できるか、そもそもまだまだ「努力」が足りないのかもしれません。

自分に足りていない要素を責める必要は全くありません。

なぜなら、それは成長できる証でもあるからです。
さあ今日から「正しい」努力を積み上げていきましょう。



自分の「努力」だけでは結果が決まらない、競争という要素のある入試。

「成功」する生徒もいるし「挫折」する生徒もいるでしょう。

私はどちらもお子様の成長や人生の成功には必要だと思います。

もちろん合格を目指して頑張ってもらったわけですから良い報告を待ちます。

結果がどうなっても、その先がそれぞれにとっての正解になることを願います。