映画を見ながら「人生の指針を持つこと」について考えてみた

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(この記事は過去の記事を再掲載しています。)

推理小説を原作にした映画を見ています。 

アガサ・クリスティーのオリエント殺人事件を映像化した2017年の映画がテレビで放送されていました。

録画していたので夕飯を取りながら少しずつ見ています。

人間を描こうとしている映画らしい。

ひょっとすると映画好きの方には、また推理小説好きの方には、ぶつ切りにして楽しむのは顰蹙を買うのかもしれませんが、私はそういう楽しみ方もしてしまいます。

とにかく、まだ途中なので最後の感想は変わるかもしれませんが、

推理の筋道や物語の進行というよりも細やかな人間描写に特徴のある作品のようです。

有名な俳優も出演していますしカメラワークも凝っているように思えます。

なぜいま古典的な作品を映像化したのか興味を持ちました。

世界中に読者のいる作品ですからストーリーそのものに魅力があるのは間違いないとして、新鮮さはありません。

そういう演出の視点が重要なことには納得するのですが、

なぜ当時こういう古典的な作品を題材にして人間を描こうとしたのかには興味を惹かれます。

描かれる人間のありようや台詞を吟味することが楽しく、

また発見のある映画はよい映画のように思います。

「迷ったときに自分の居場所を知る必要がある」

序盤で主人公のポアロが女性と会話をします。

彼女は社会の先生(家庭教師だったかな)が自分は生徒にまず地理をしっかり教える、と言います。

「人生に迷ったときにまず自分の居場所がわからなければ」

という言葉は印象深く、

1つの気づきを与えてくれました。 

人は「どこへ」と「どうやって」で迷う

言うまでもなく、殺人は許されざる罪です。

許されないことを犯そうというのですから、

普通、人は迷います。

許されない、ではこの激情をどこに向ければいいのか、と。

どうやって憎しみや怒り、悲しみを解消すればいいのか。

迷いには、この2種類があるのではないでしょうか。

行き先がわからないから、迷う。 

これは塾のブログなんです。

塾のブログでなぜ、迷いには2種類ある、

という映画を通した気づきについて書こうと思ったのか。

殺人事件は極端すぎる例なのはもちろんとして、

人はだれでもいつか、

ひょっとするといつでも、迷っているのかもしれません。

まず、迷うのは自分がどうしたいのかわからないときに悩みます。

これを生徒に落とし込むと、

進路が決められなくて迷う、ということではないでしょうか。

行き方がわからないから、迷う。 

行き先が決められなくて迷っている、

というのは今の自分の立ち位置からどんな進路を描けるのか可能性が見えていない、

という例になります。

2つ目の迷いは、

自分の行き先を決めることができていても、

どうやったらそこにたどり着けるのか、

方法論を知らないから迷う、というものだと思います。

行きたい学校や就きたい仕事はあるけれど、

どうすれば進路を実現すればいいかわからないという迷い。

勉強はコンパスと地図を持つこと。

勉強は、何かを調べ、知り、身に付けるという作業は、

コンパス(方位磁針)と地図を持つ作業だな、と思います。

自分の能力や特性を知るにはいろいろなことに挑戦しなくてはいけません。

机に向かった「お勉強」だけがその方法でもありませんが、

それが1つの方法であることもまた間違いはありません。

また、情報がなければどういう進路があるのかも知りようがありません。

勉強は道具の使い方を知ること。 

また、勉強は手に入れたコンパスや地図をどう使うかを知ることであり、

目的地までどうやってたどりついたらいいかを考える知性、

そして、それを実行する思考力という知的で人間的な道具

これを使いこなす力を育てることでもあります。

どこに向かっているか大人だってわからなくなる。 

進路決定や、どうやって進路実現を果たすか、

これは学生にとって大きな迷い、悩みだと思います。

しかし似たような、

例えばキャリア形成について、

どう評価を得ていくか、

あるいは転職するか、

引退に向けて同準備するか、

そういう事柄は大人もぶつかる問題です。

人生をどう設計するかという問題は生きていれば当然ぶつかる問題です。

ぶつからなくてはいけない問題です。 

人生のコンパスを持とう。子どもにも持たせよう。

子どもだろうと大人だろうと迷います。

ですから、

迷ったときの迷い方、進み方、

その探し方を知っておくことが必要なのだろうと思います。

知識を与えるだけではなく、

考えさせ、試行錯誤を繰り返す教育の意義がここにあります。

迷うこと、寄り道を楽しもう。 

迷うことは苦しいことでもありますが、

楽しいことでもあると思います。

迷ったから見れる景色というか、

寄り道したからこその経験があるはずで、

それが個性を育てると思います。

今の時代は、

特に新型コロナが席巻している今年は、そういう余白を楽しむような余裕を持ちにくいように感じます。

だからこそ、

大人の「私たち」こそ、

「私」はどこにいるのか、

ちょっと立ち止まって、

人生の地図を広げて自分の居場所を知る、

わからなくても、考えてみる。

そんな時間を意識的に持つ必要が今あるのではないでしょうか。


(文責:古川 2020年10月5日)